2015年1月26日 月曜日
笹原地区総鎮守参り 福岡市南区井尻 はりきゅう整骨院
こんにちは、後藤です。
昨日は、笹原地区の総鎮守参りをしてきました。
笹原地区の総鎮守になるのが、
『笹原八幡宮』で諸岡中央公園のそばで、
少し奥まったところにあります。
「笹原八幡宮」は建立当時那珂郡諸岡村と呼ばれていた村内の
大坪・束の前・原口・原中・池の上・下の山一帯の集落を笹原と称して、
この地の五穀豊穣と平和、そして家内安全を祈願して祀られています。
だそうです。
この笹原八幡宮は、高宮八幡宮の分社ってことを患者さんに聞いていたので、
『高宮八幡宮』にもお参りに行ってきました。
『高宮八幡宮』は西鉄高宮駅前の高宮通りを越えて、山側に上がったところにありました。
結構上にあり、駐車場も周りになかったので、一番近いであろう駐車場に車を停めて、
歩いて登っていきました。 久しぶりに登りを歩くとしんどいですね。。。。
『高宮八幡宮』
「高宮八幡宮」
天智天皇(西暦655~661)の御代に磐瀬(現在の西鉄高宮駅東方に地名が残って居る)
の行宮に居られた時に、神功皇后の縁の地として此処に神さまをお祀りになったと
伝えられております (四王寺山の城や水城が築かれた頃)。
現在のTNCテレビ塔一帯の高いところに創建されたようで、
その場所の位置と地形、つまり今の平和台に在った外賓応対の施設と大宰府との
連絡道路に面して居り、更に博多湾を望み、大宰府と那珂郡を一望できる軍事上重要な
位置をなしていることと時代背景を考えますと、
国の外難防御祈願の為に創祀されていることが解ります。
後、寛仁年間(1037年頃)に岩戸少卿大蔵種直が社殿を造営して武運を祈り代々崇敬しました。
また、建久年間(1190年ごろ)原田氏(糸島郡の高祖城主)の時、当神社を高宮の宮の尾に移し、
高宮、平尾、野間の三村の氏神、那珂郡の惣鎮守神としたと伝えます。
当宮の寛永年間(西暦1624年頃)の棟札によりますと、
本殿は藩主黒田忠之公の寄進されたもので、
一の鳥居は長政公の寄進であり、
拝殿は家老の加藤司書の寄進とのことです。
武運祈願の神社として慶長7年(1602年)に神社を古宮の跡である現在地に遷座し、
のちに分霊を平尾村と野間村に勧請して氏神としています。
また、天保年間の棟札には、惣産子として
高宮村、平尾、野間、若久、屋形原、野多目、和田、老司、
塩原、清水、日佐、那珂、竹下、春日、安徳、馬出、堅粕までの
17村の名前が書いてありました。
那珂の郡の鎮守、高神様という伝承を裏付けるものです。
だそうです。歴史のある神社なんですね。
せっかく行ったので、おみくじを引いたんですが、『吉』でした。
良くも悪くも自分しだいってことですかね。。。。
気持ちも新たに、治療に専念していきます!!
交通事故、首・肩・腰・膝など関節の痛みや骨盤矯正は、福岡市南区井尻のにこにこ整骨院まで(^_^)/
昨日は、笹原地区の総鎮守参りをしてきました。
笹原地区の総鎮守になるのが、
『笹原八幡宮』で諸岡中央公園のそばで、
少し奥まったところにあります。
「笹原八幡宮」は建立当時那珂郡諸岡村と呼ばれていた村内の
大坪・束の前・原口・原中・池の上・下の山一帯の集落を笹原と称して、
この地の五穀豊穣と平和、そして家内安全を祈願して祀られています。
だそうです。
この笹原八幡宮は、高宮八幡宮の分社ってことを患者さんに聞いていたので、
『高宮八幡宮』にもお参りに行ってきました。
『高宮八幡宮』は西鉄高宮駅前の高宮通りを越えて、山側に上がったところにありました。
結構上にあり、駐車場も周りになかったので、一番近いであろう駐車場に車を停めて、
歩いて登っていきました。 久しぶりに登りを歩くとしんどいですね。。。。
『高宮八幡宮』
「高宮八幡宮」
天智天皇(西暦655~661)の御代に磐瀬(現在の西鉄高宮駅東方に地名が残って居る)
の行宮に居られた時に、神功皇后の縁の地として此処に神さまをお祀りになったと
伝えられております (四王寺山の城や水城が築かれた頃)。
現在のTNCテレビ塔一帯の高いところに創建されたようで、
その場所の位置と地形、つまり今の平和台に在った外賓応対の施設と大宰府との
連絡道路に面して居り、更に博多湾を望み、大宰府と那珂郡を一望できる軍事上重要な
位置をなしていることと時代背景を考えますと、
国の外難防御祈願の為に創祀されていることが解ります。
後、寛仁年間(1037年頃)に岩戸少卿大蔵種直が社殿を造営して武運を祈り代々崇敬しました。
また、建久年間(1190年ごろ)原田氏(糸島郡の高祖城主)の時、当神社を高宮の宮の尾に移し、
高宮、平尾、野間の三村の氏神、那珂郡の惣鎮守神としたと伝えます。
当宮の寛永年間(西暦1624年頃)の棟札によりますと、
本殿は藩主黒田忠之公の寄進されたもので、
一の鳥居は長政公の寄進であり、
拝殿は家老の加藤司書の寄進とのことです。
武運祈願の神社として慶長7年(1602年)に神社を古宮の跡である現在地に遷座し、
のちに分霊を平尾村と野間村に勧請して氏神としています。
また、天保年間の棟札には、惣産子として
高宮村、平尾、野間、若久、屋形原、野多目、和田、老司、
塩原、清水、日佐、那珂、竹下、春日、安徳、馬出、堅粕までの
17村の名前が書いてありました。
那珂の郡の鎮守、高神様という伝承を裏付けるものです。
だそうです。歴史のある神社なんですね。
せっかく行ったので、おみくじを引いたんですが、『吉』でした。
良くも悪くも自分しだいってことですかね。。。。
気持ちも新たに、治療に専念していきます!!
交通事故、首・肩・腰・膝など関節の痛みや骨盤矯正は、福岡市南区井尻のにこにこ整骨院まで(^_^)/
投稿者 有限会社にこにこ